その①
2015年4月に清水の舞台から飛び降りる覚悟でオープンした“レオン“が丸10年を迎え11年目に入った。
32年間“歯科技工士“として勤務した後、まったく違う世界に飛び込むということで、当然周りには賛否両論色々言われた。
ただ、サラリーマンは定年になれば職務をまっとうし、それからは違った生き方をしないといけないわけで……
60過ぎた定年時に、今までと違う全く新しいことをやる気力が残っているのか…?
そう思ったら「今でしょ」って思った。
だけど、総務課人事係に退職手続きについての電話をして受話器を置いた時、「やっちまったかも……」と思ってしまった。
よく「まず一歩踏み出すことが大事」とか言うが、この一歩先が崖だったら……パラシュートとか命綱とか準備するわけで……。
その準備をしないまま飛び降りた俺は、落下しながら途中に掴める枝とか根っことかがないかと探しながら10年かけて今も落ち続けている。
もちろん、当時これをやるにあたって、家族(これから大学に進学する3人の娘と妻と母)との話し合いはあったし、何とか了解を得たんだけど、その話はまた次の機会に……
その②
ライブハウスをやると決めたは良いけれど、この決心を家族に言う(説明する)にはさすがに時間がかかった。
これから大学を目指す3人の娘達、新築した家のローン……
普通なら考えられないシチュエーションだ……
でも、考えた末の事だから素直に言おうと思った。
娘達からは当然のように、「このタイミングでありえない!」って言われた。
しかし、妻は違った。
「やりたいことがあるならやってみたら……」
えっ、ダメもとで言ったのに……
当時、訪問看護に携わっていた彼女は、夢半ばで若くして生涯を終える人達をたくさん見てきたらしかった……
音楽を通しての地域の活性化のためにと、多少正義感もチラつかせたのは否めないが、生半可な覚悟ではできないと思った。
しかし、これで自分の気持ちは確たるものになる。
2014年3月末で32年間お世話になった「ゆきぐに大和病院」を早期退職し、次へのステップに移行する。
そして、3人の娘達に「どうかみんな国公立大学に行ってください」と頭を下げた……
2014年4月から主夫をしながら、2015年オープンを目指し、今まで経験のないことを手探りではじめた。
その③
一人っ子だった自分は小さい頃からひとり遊びが得意で(必然的に…)、コツコツとプラモデルを作ったりと…そんなことに喜びを感じていたように思う。
ある日、友人宅で「人生ゲーム」なるものを初めてやった時、あまりの楽しさにそのゲームを借りて帰って来たことがあった。
ところが、家でひとりでやっても全く面白くないことに落胆したことを、今でも鮮明に覚えている。
だからか、迷うことなく歯科技工士(いわゆる入れ歯や銀歯を作る)という職業を選んだ。
32年間、そのことは間違いなく自分に合った仕事だと確信していた。
そして現在、ライブハウスのマスターとして10年間店に立っている。
少なくとも15年前までは思いもしなかったことだ。
ひとり遊びが得意な自分にとっては真逆な接客業なのだから…。
正直な話、今でも接客は間違いなく得意ではない。(スタッフに恵まれたことは本当に幸運だった)
でも、職場に行くことが億劫になったことは10年間一度もない。
何故か……
大好きな楽器と音響機器に囲まれて、好きな音楽に常に触れていられるから…
好きなミュージシャンの演奏を間近で聴きながら、美味しい酒が飲めたり、語り合ったりできるからだろう。
ただ、レオン開店前から覚悟していたことがある。
勉強を兼ねて訪ねた小規模ライブハウスの店主達が口を揃えて言っていた合言葉「楽しいけど儲かんないよ〜」だった。
そして、それを実感するのに時間はかからなかった。
わくわくのオープンから半年もしないうちに月末の支払いに苦戦するようになる。
世間知らずのど素人がいきなり水商売をやろうってんだから当然のことである。
はじめて触るレジスターを開けるのに半日もかかったのだから……
今となっては笑い話だが、この続きは④へ
その④
聞いてはいたし、わかってはいるつもりだったが、水商売は右も左もわからない素人には当然厳しかった。
開店から半年もしないうちに現実は訪れる。
毎月末の支払いに鬱になるのである。
ママチャリを立ち漕ぎで急坂を登るような感じ……ペダルを漕ぐのをやめると倒れてしまう「自転車操業」とはよく言ったものだ。
大事にしていた高級時計を売って支払いにあてたこともあった。
その頃の自分の表情はさぞかし険しかったろう。
そんな店に人は行きたくないと思うから悪循環になる……
そんな時、あるシンガーソングライターのライブ中、いつものようにPA卓(音響操作機器)についていると、歌いはじめた曲の歌詞が涙腺を崩壊させた。
お客さんに見られたらまずいと思い、姿勢を低くしてなんとか死角に入った。
♬ 目覚ましが鳴って
コーヒーを入れて
歯を磨いたら君と「おはよう」
パンケーキが焼けて
バターが香って
今日が始まる 君と一緒に
どこにでもありそうな
こんな風景が なんとなく
そこはかとなく…ハッピー
コンビニに寄って
おにぎりを買って
飲み物も買って ぶらりどこかへ
クルマに乗ったら
どこへ向かおう
予定なんてない 静かな土曜日♬
(端山龍麿「土曜日」より抜粋)
まわりから見たら楽しそうな今の自分の状況から比べたら、サラリーマン時代の平凡な毎日がいかに幸せなことだったのかと思ったら………嗚咽を堪えるのに必死だった…
家族の後押しがあったとはいえ、退職金を全て注ぎ込み、借金までして作ったこの城を、やってみたけどダメでした…なんて絶対に言えない。
命に替えても守り切らなきゃ…と、今思えば大袈裟だけど、当時は真剣に思った。
そんな毎日もなんとか続けていると、だんだん知名度が上がってきたのか、少しずつではあるが売上も上がった。
あれほど大変だった自転車漕ぎが、いつの間にか気付けば電動アシスト付自転車になったような……
そして、このままいけば当初の目標達成かと思ったとき……
そう、あのパンデミックがやって来たのだ。
そして話は⑤へ続く
その⑤最終話
奴がやって来たのは2020年だった。
そう、「COVID-19」、忌々しい奴の名前だ。
当初はこんな田舎には来ないと思っていたが、ご丁寧にこんな田舎にまでやって来やがった。
やっと店が軌道に乗ってこれからという時に……
マスク必着、アクリルパネル、クリアカーテン、手指消毒、人との間隔は最低1m、営業時間制限……今、冷静に考えれば、こんなので感染を防げる訳がない。
マスクの繊維がサッカーゴールだとするとコロナウイルスはピンポン玉のようなものらしいから……
急に値上がりしたマスクやアクリルパネル、アルコール消毒液を言われたとおりに買った。
みんな必死だったし真面目だった。
ライブハウスでクラスターが出たとテレビで大きく報道されて「自分の店も終わったかも……」と思った。
でも、日本政府は末端の小規模店にも優しい対応をしてくれた。
感染防止経費補助や休業補償はとても助かった。
あれが無かったらとっくに廃業して、今頃どこで何をしていたのか…わからない。
あの時借りた公庫の特別融資返済が先月からはじまった。
返済猶予最長の5年後にしておいて本当に良かった。
2023年5月収束、「顔パンツ」と言われるようになったマスクは中々外せない人もいるようだし、お客さんもパンデミック前と同様には戻ってこないが、なんとか平穏な日々は訪れた。
この3年は一体何だったんだろう…?
ただの災難だったと言うのは簡単だが、これから先も起こり得るパンデミックだけに、今後の生き方を考える上でとても良い経験になったと思う。
そして2025年4月、丸10年を迎えたレオンはまだ生きている。
飲食店の開業から10年の生存率は10%と言われる中、電動アシスト付き「自転車操業」でなんとか走り続けている。
これも一重に応援してくださるお客様がいてくれるから……それにレオンのコンセプトを理解して店を好きでいてくれるスタッフに出会えたこと、そして何より、この無謀とも言えるレオン開業を許してくれた家族がいてくれたことだろう。
皆さんに心より深く感謝して、これからもレオンという「自転車」を漕ぎまくろうと思う。
あとがき
「レオンオープンから10年の思い」を①~⑤までダラダラと綴ってきましたが、もう今月末で丸11年、来月2026年4月からは12年目に突入です。
今、世界中で不穏な動きがありますが、自分がやるべき事、やれる事をひとつひとつ丁寧に一生懸命にやるしかないと思っています。
今後とも「Live Cafe LEON」をどうかよろしくお願いいたします。
2026年3月23日
株式会社レオン 代表取締役 佐藤政博